偽造された季節

            偽造された季節がテーマだった。

偽造された季語を持ったビジネス・ガールの横で、 ぼくは映画を見る(フリをしていた)。 映像で季節を偽造できた時代を模倣して、 ぼくは映画を見る(フリをしていた)。

 

太陽が、精確に移動している。 雲がランダムに配置され、 裏の秩序に従っている……。

 

ビジネスから自由な ビジネス・ガールのうちの一人が 「明るい部屋」のデザインを担当し、 ぼくが映画を撮るのだった。 題名は、『明るい部屋の季節』だった。 一九七〇年制作(ということにした)。 ぼくが生まれたとされる例の年の、機材と レトリックを使い、 背景は、 季節が消えた後の 透明な ミドリの空間だった。 そこに一人、 ビジネス・ガールが浮かんでいて、 本当は それだけでよかった。あとは、 この映像を映画として流通させるための 外観だった……。

 

街から建築家が撤退し、 季節を支配するモノだけが残った。      

最近何編か読ませてもらって、だいぶその特徴が見えてきて、おもしろい才能だなと思って読んでます。[…]ほかの人はこういう書き方しないし、私わりとその人独自のものがあるものを、うまい下手より言葉でも何でもその人だけしか使わないみたいなのがおもしろくて読みます。「ビジネス・ガール」っていうのが古い言葉なんですけど、これ七〇年代のBGのこと? いま言わないよね。その頃に生まれた世代が七〇年代といったら私の青春時代ですけど、そういう頃に生まれた世代って世界をこういうふうに見るのかなと思って読みました。 関富士子「研究作品選」『詩学/2000.3』pp..114-115。