詩者について

            夜中に目をさますと

左側に見覚えのある詩者が立っていて 無表情に ぼくの横腹を蹴りつづけているのだった

ぼくは無表情に その詩者に話しかけてみた

今、何時ですか?

詩者は ぼくの質問を無視して なおも蹴りつづけていた

しかたがないので ぼくは目を閉じて この状況について考えてみることにした

たとえば詩者は ぼく自身の象徴かもしれない 詩者は ぼくの腹部に沈殿しているものを憎んでいて 詩者は、あるいは、ぼくは その沈殿物を吐き出したいと思っていて つまり ぼくは 今の中途半端な生活をぬけだしたいと 思っていて その沈殿物、すなわちぼくの呪われた部分 素朴で俗物的で下等な部分を吐きだすことができれば もっと明快な生活が送れるのではないかと 思っているのかもしれない

それとも 吐き出したいのは、それとは正反対の もう一方のほうだろうか? やましい、異常な、ひねくれた 諧謔的で冷淡な つまりは人として最低な ぼくの認識力の方だろうか

認識力は最低だ 彼らは素朴な愛すべき人たちの中に紛れ込み 善良な振りをして会話に加わるのだ

そこで何をしているかというと、彼らは 自分の認識力の高さを確認しているのだ

いやそうではない ぼくは、ぼく自身を憎んだりすべきではない 詩者はやはり詩者そのものなのだ

これまでに存在した あらゆる詩者の総体なのだ こいつは、ぼくを認めたくないのだ この行為は単純に、怒りそのものなのだ

ぼくは再び目を開けて 詩者にたずねてみた

なぜぼくを蹴るんですか?

詩者はぼくの質問を無視して 無表情に横腹を蹴りつづけていた……

   

最初の四行おもしろいし、「たとえば詩者は/ぼく自身の象徴かもしれない」のこの長い連もおもしろいし、それから最後から二番目の「なぜぼくを蹴るんですか?」というのもいい。ちょっと自意識的というのかな、詩を書きたい自分とそれに対して疑問を呈する自意識との対決みたいな感じがして、自意識の対立がベタベタしてないんですよね。「横腹を蹴りつづけ」られているし、そういう爽快さがある。それがまた男の人らしくて私はいいと。 有働薫『詩学/2002.2』