ボクの世紀

            自覚的な女の子たちが、例の古くて新しい音楽に乗って、やがて、ボクの世紀を支配するだろう。間違い無いだろう。高度な、セルフプロデュース機能を搭載した女の子たちは、もはや、親父たちを必要としないのであって、君の世紀は寂しい、<!--more-->心細いことになるだろう。親父の特権的な技術はことごとく、搾取されるだろう。

君はガチガチに様式的で、見え見えで、何から何まで読まれている。無防備な労働者であり、クリエイティブな女の子のマーケティングターゲットであり、実質的な力は見かけの力に反比例しているのであり、つまり、ボクらの世紀はダメんなっちゃうだろう。しょうがないだろう。

ボクは労働を拒否するだろう。離れたり入り込んだり覗いたり突いたりして、ボクは影の知識人をめざすだろう。感性を理性的に使用し、知性を情動的に使用するだろう。

それはそれなりに楽しかった。(世紀の真ん中あたりでボクは、とある地方中核都市の老人ホームの温水プールに浮き袋を浮かべ、ボクは、27才の時に書いた日記を読んでいる) ボクの人生はそれなりに良かった...? 結果がすべてだろうか? それとも過程のほうが大事? 結果は完結していて分かりやすい。過程はおもしろい。過程は、享受できるからドキドキする。どっちでもいい。いや、どっちもいい。どうでもいい。どお? どうする?

君はなんとか君の人生をやり遂げるだろう。まとめて自覚することは出来ないが、それはそれで、いいだろう。とにかく、もうすぐ世紀の幕が開き、ボクの世紀もがんばるだろう。やがて落ち着くだろう。

とにかくなんにしても、自覚的でなければならない。ボクは自覚的でなければならない、だろう...