「芸術の進化について」または、「クロマニヨン人と現代人の脳のスペックについて」

            ラスコー展に行ってきた。クロマニヨン人の描いた壁画の上手さに驚いた。2万年前に、これだけレベルの高いデッサン力があるというのは、ちょっと不思議だっ<!--more-->た。もっと稚拙な、小学生の絵に近いものを想像していた。

パンフレットによると、クロマニヨン人と僕たちの遺伝子はだいたい同じで、脳の大きさ、つまり知能もだいたい同じらしい。仮にクロマニヨン人の赤ちゃんが現代の家庭で育てられたら、現代人と同じように言葉もしゃべるし、数学も解けるようになるそうだ。そう考えると、クロマニヨン人の画家が、あの絵を描いたというのも、それほど奇跡的なことではないかもしれない。

昔の人より現代人の方が知能が高いと思い込んでいたのは、ここ数百年、数十年の科学技術の進化が急速なのが要因なのかもしれない。 では、クロマニヨン人と現代人の脳のスペックは変わらないのに、なぜ、これだけ技術革新のスピードに差があるのだろうか? 石器がちょっと小型化されるのに数百年も数千年もかかっているのに対して、ここ10年の間に、やれスマホだ、やれAIだ、やれ電気自動車だ...と、SF的なものが次々と実用化されている。

この疑問も、資料の中にヒントがあった。 クロマニヨン人の平均寿命は20才くらいだったそうだ。19世紀フランスで50才弱。そして、現代の日本人は80才を超えている。 ということは、単純に、一人ひとりの技術者が革新のために掛けられる時間が4倍になっているのだ。

現代人は、最初の20年くらいを、過去の成果を勉強することに費やすことができる。次の20年で実務を試行錯誤できる。そして、その次の20年で体系的なものを完成させることができる。最後にもう20年の予備もついている。 現代人はクロマニヨン人とくらべると、4倍の時間というハンディを貰っているのだ。(技術者の数の違いとか、資本主義とか、その他にもいろいろあるのだろうが、それは置いておいて...)

それにしては、現代の芸術家は、4倍のハンディを有効に活かせていないように感じる。 クロマニヨン人の画家は、デッサンの練習に毎日何時間もかけることはできなかっただろう。狩りなどの仕事も、免除されていないかもしれない。 クロマニヨン人の画家には、限られた時間、限られた道具、限られた技法しかなかった。それにしては、科学技術ほどには、圧倒的な差が出ていないと感じる。

話はそれるが、そもそも芸術に進化は必要なのだろうか? 石で岩を削って描くか、パソコンを使ってCGで描くかという技術的な違いはあるが、「動物を描きたい」「人を描きたい」と思うとき、クロマニヨン人と現代人の感性に違いはあるのだろうか? 異性に対してキュンとする感じ、身の危険がせまっているいる時の足がすくむ感じ、敵に勝った時の感じ、美味しいものを食べた時の感じ、疲れている時の感じ...それらは、たぶん、ほぼ同じなのではないだろうか? とすると、感性、つまり表現しようとする内容は、進化する必要がないのかもしれない。 いわゆる、「普遍的なもの」が大事にされるのは、道理にかなっているのかもしれない。