羽田圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』を読んで

             少しづつ介護が必要になってきた老人と、孫の健斗(主人公)と、健斗の母親が都内のマンションで暮らすという<!--more-->何処にでもありそうな設定。再就職活動しながら、祖父の介護を手伝う健斗の心理描写が中心となる、とりたてて劇的な場面のないストーリー。難解でも、斬新でもない文体で、すらすら読みやすい。

 それでいて、本作では、芥川賞という華々しい評価を得ている。  過去にも、デビュー作で文藝賞を受賞している。

 僕自身も面白く感じて一気に読んだし、華々しい評価を得ていることでもあるし、何か特別なものがあるのは確かだ。  でも、何と言ったらいいか、すぐには思いつかない。  Googleで選評を探してみたいという誘惑にかられつつ、しばらく考えて、なんとか一つ案が浮かんだ。

 「現実世界の中で起こりそうな、ギリギリのフィクション」というのでどうだろうか。  斬新な展開になりそうになっても、ギリギリのところで力が抜かれて、現実の範囲に引き戻される。健斗の心理描写も、狂気ととられるギリギリのところで、トーンダウンされている。  作者は、意図的にこれをやっているんじゃないか?

 始めの方で、「苦痛や恐怖心さえない穏やかな死。 そんな究極の自発的尊厳死を追い求める老人の手助けが、素人の自分にできるだろうか。 しかし八七年も生きてきた祖父の終末期の切実な挑戦に協力できるのは自分くらいしかないだろうと健斗は思った。」(pp..14-15)とあり、これがこの小説のテーマになっていると思う。  でも、けっきょく最後まで、この老人は死ぬことは無い。健斗の就職が決まって家を出る時に駅まで見送りに来て手を振って別れる、という軽いハッピーエンドになっている。

 恋人の亜美との会話の中で、不意に違和感のある言葉が出てくるが、するっと流れて、何事もなかったように元のトーンに戻ってしまう。 「「むくむむくむうるせえな。どうでもいいだろう」吊革につかまりため息まじりに発された亜美のぼやきに、健斗は自分でも驚くほど険のある言葉を返した。」(p.47)  「「どうせ私なんかデブでブスなんだから健斗も他のもっとかわいい子とつきあえばいいでしょう」 いつもなら咄嗟に出てくる謝りや慰めの言葉が、健斗の口からなぜか出てこない。(中略)「ああそのとおりかもしれねえな」我慢ならなくなった健斗は口にした。(中略)健斗はでもすぐに怖くなりいつもどおり謝り始めた」(pp..61-62)

 祖父は衰えているふりをしているだけで、家族が居ない間は身軽に動き回っているのではないかという疑いが出てくるが、これも最後まではっきりしなかった。 「暗い廊下を進みリビングのドアを開けようとした瞬間、なにか黒く小さなものがものすごい勢いでリビングから台所へ駆け抜けていくのが見えた。「じいちゃん?」」(p.77)

 少しでもフィクションだと意識されると、自分とは関係のない架空の世界の出来事だということを物語の合間に思い出して安心してしまう。読了後は、現実の世界にスパッと戻って、さっきまで入り込んでいた世界を棚上げしてしまう。  だが、この小説のように、現実の自分と関係のある世界にとどめられると、その世界から逃げることができない。  悲惨なニュースを見た後に似ている。  作者は、この逃げ場の無い世界に読者を閉じ込めたまま、ギリギリの強さで僕たちの心を揺さぶって、もてあそんでいるのかもしれない。  (ちょっとテレビで見たことがあるが、そういえば、そんな意地悪な雰囲気があったかも。)