道徳的な前衛

             若い時は、前衛的なものに熱狂しがちで、例えば、次のような文章を読むと、道徳的で退屈だと感じると思います。<!--more-->

真の意味は他者との交わりにおいてだけ可能である。たった一人にしか意味がないような言葉は、実際には、無意味である。われわれの目的と行動についても同じことがいえる。すべての人は意味を追求する。しかし、もし自分自身の意味が他者の人生への貢献にあるということを認識しない時にはいつも誤るのである。 『人生の意味の心理学(上)』アルフレッド・アドラー著p.14

 でも、40才とか50才とかになって、挫折や克服や成功や試行錯誤を経験した後で読むと、このような道徳的な言葉は、けっこう本当かもしれない、けっこう役立つのかもしれない、と思うようになるかもしれません。

 けっきょく、人間という動物は、地球上に、群れで生息し、オスとメスが生殖して繁殖するのに適するように、脳も体も作られているのだ、と。

 他人のために行動すると脳が気持ちいいと感じ、人類の生存に役立つ仕事をすると嬉しいと感じ、異性に好かれると幸せだと感じるように、仕組まれているのだ、と。

 人間が繁殖するという目的に逆らった考えや行動を取ると、不幸になるように仕組まれているのだ、と。

 新しい発想や行動、または深い思考の探求によって、この制限から外に出ようとすると、「誤る」可能性が高いのだ、と。

 人にとって正しいことは、すでに先人がやりつくしていると思われるので、新しい発想や行動、または深い思考を、誤らずに成功させて幸せになっている人は、奇跡的だと思います。